本日より 第二部の12、自我とは何か に入っていきます! ●自我とは偶像崇拝そのものである。 分地した有限なる自己のしるしである自我は 肉体の中に生まれ 苦しんだあげく 死によって生命を終える宿命にある。 自我は神の意志を敵とみる「意志」であり 神の意志が否定されるような形態をとる。 自我とは、「強さとは弱いものであり 愛は恐ろしいものであり 生命とは実は死であり 神に対立するものだけが真実である」 ということの「証拠」である。 ●自我は正気ではない。 恐れるあまり、自我は万有から離れ 無限から分離し 偏在を超えたところに立っている。 狂気の中で 自我は自分が神そのものを打ち負かした勝者であると考える。 そして恐怖の自治の中で 自我は神の意志が破壊されたと「見て」いる。 ☆神の子に自我はない。 狂気や神の死について何も知らない。 永遠の喜びの中に生きる神の子が 悲しみや苦しみについて 何を知ることができるだろう。 ●実相を知るということは 自我を見ないということである。 自我の考えも その働きも その行為も その法則も信念も 夢も希望も 救済計画も 自我を信じることに伴う犠牲も 一切見ないということである。 自我を信じるために要求される苦しみの代価は あまりにも大きい。 ☆しかし、一凛の赦しの百合の花が 闇を光に変え 現像への祭壇を生命そのものの神殿に変えるだろう。 そして神がわが子として創造した神聖な心たちに 平安が取り戻されるだろう。 それらは 神の住居、神の喜び 神の愛であり 完全に神のもので完全に神とひとつの心である。 自我はエゴのこと! 実相を見ていきましょ♪