いよいよ最終課題のパートに入ります!
最終課題☆練習の前に
1,私たちの最後のレッスンは
出来る限り言葉を使わずに行う。
練習のはじめには言葉を用いるが
それは言葉を超えて進もうとしていることを
思い出すためだけである。
私たちの道を先導し
私たちの歩を確かなものとしてくれる聖霊を
頼みとしよう。
私たちはこれらのレッスンを聖霊に委ねる。
私たちは2度と罪を信じることへと後戻りしたくはないからである。
罪を信じていたから
世界は醜く不安な場所に見えていた。
2,聖霊の道だけが
神が私たちに与えてくれた平安を見出せる道である。
それが、最終的には必ずすべての者が旅する道である。
時間の夢の中では、その終わりはずっと先のことであるように思える。
しかし、真理においては
それはすでにここにあり
進路を示す慈悲深い導きとなって私たちを助けている。
真理が指し示す道を、私たちはともに進んでいこう。
3,この目的に私たちの心をささげ
私たちの考えのすべてを救済の機能に役立つ方向に向けよう。
私たちには世界を赦すという目的が与えられている。
私たちが探し求めているのは
神が定めた夢の終わりであって
私たち自身が決める終わりではない。
私たちは自分が赦すすべてを
必ず神ご自身の一部として認識する。
そうして神についての記憶が
完全な形で、完全に戻ってくる。
4,神を思い出すことが
地上にあける私たちの機能である。
実相においては
私たちは神こ自信を完成するものとなるべく
定められている。
私たちのゴールは共有されている。
それを覚えていることにより
神が思い出され、神の平安のある天国
そして神ご自身へと至る道が示される。
これを私たちに差し出すことのできる兄弟を
私たちは赦そうではないか。
彼が道であり、真理であり
生命であり
私たちに進路を示してくれる。
彼の中に救済が宿り
私たちの赦しを通して
私たちに救済が差し出される。
5,私たちは、父がご自身の神聖な子に約束した贈り物を手にすることなく
この1年を終わらせはしない。
今や私たちは赦されている。
私たちは正気を回復しており
その正気の中で
怒りは狂気であり
攻撃は錯乱であり
復讐は愚かな夢想に過ぎなかったと理解している。
自分たちが間違っていたことを学んだから。それだけのことである。
6,私たちは正直になって神のもとへ行き
自分が理解してなかったと述べたうえで
神自身の与える教師の声を通して
神のレッスンを学べるように
助けてほしいと願い出る。
神はわが子を痛めつけない。
駆け寄り
「これは私の子であり、私のものは全て彼のものである」
神がこのように答えると確信していなさい。
これは、あなたに対する神ご自身の言葉だからである。
そして、誰も
それ以上のものを得ることはできない。
この言葉の中に
今もこれからも
時間を超えて永遠に存在する一切が含まれているからである。
今日は以上です。