私は無価値なものに価値を置かない
あなたが人生に求めているものは、大きすぎるどころかあまりにも小さい。
肉体に関する心配、購入すべきもの、世界が重んじる地位や名誉などに
自分の心が引き寄せられるままにするなら、あなたが求めているのは悲しみであって、
幸福ではない。
世界の中に、満足というものはないのである。
だが、選択することならあなたに出来ることであり、まさにそれをしなければならない。
どれほど多くあるように見えても、選択肢は2つしかない。
あなたの選択がもたらすものは、いかなる妥協もない。
すべてをもたらすか、何ももたらさないかのどちらかである。
したがって、無から有を見分けるための基準を学ぶなら
あなたはよりよい選択をするようになるだろう。
①第1の基準 もしあなたが永続しないものを選択するなら、あなたが選んだものは無価値である。
衰えて真でいくものは、もとより存在していなかったのであり
それを選択する者に何ももたらさない。
自分の好みだと思う語りを纏った虚無に、騙されている。
②次の基準 もしあなたが他の誰かから何かを取り上げることを選ぶなら
あなたの手元には何も残らない。
この理由は、すべてのものに対するその人の権利を否定するとき
あなたは自分自身がもつ同じ権利を否定しているからである。
他人から取ろうとする者は、損失が利益をもたらせるという幻想に騙されてきたのである。
③次に考慮すべき基準 あなたの選択しているものが
どういう理由であなたにとって価値があるのか
何があなたの心をそれに惹きつけるのか
どのような目的にそれが役立つのか ここが最も欺かれやすいところである。
というのも、自我は自分が何を欲しているのかを認識できないからである。
あなたの目には自我が無罪潔白と映るようにしておく。
④次に取り上げる基準 選択の基準の中では最も信じがたいものである。
この基準は、もしあなたが自分の選択に関して何らかの罪悪感を抱くようなら
あなたは真に選ぶべき2つの選択肢の間に自我のゴールを入り込ませている、というものである。
自分が選んだと思っている選択肢が恐ろしいものに見えたり
これほど危険なものが実際にあるはずがないと思えたりする。
すべてのものは、価値があるかないかのどちらかでしかない。
追求するに値するか、それとも値しないか 完全に望ましいか、それとも努力をする値打ちもないか
どちらか1つである。
だからこそ、決断は難しくないという非常に単純な事実を隠す煙幕にすぎない。
これを学べば、容易に苦痛なく選択できるようになるだけでなく
はるかに多くを得るのである。
天国そのものが両手を空にして心を開いた者たちによって到達されるものである。
すべてを発見し、すべてを自らのものと宣言する。
私たちは今日、この状態に到達することを試みる。
自己欺瞞を脇に置き、正直に、真に価値があって実在するものだけを
価値あるものとして大切にしようという意欲をもってそれを行う。
☆私は無価値なものに価値を置かない。
そして、価値あるものだけを見付けたいので、それだけを追い求める。
☆私は無価値なものに価値を置かない。
価値あるものが私のものなのだから。
ここでいう自我はエゴのことです。 (*^^*)