私は兄弟の無罪性を見ることを選択する
☆赦しは選択である。 私は決して兄弟をありのままに見てはいない。 兄弟の本性は知覚をはるかに超えているからである。 私が兄弟の中に見ているのは 自分が見たいと思うものだけである。 なぜなら、それは真理であってほしいと私が思うものを表しているからである。 どれほど外界の出来事が私を駆り立てているように思えても 私はこのことだけに応答している。 私は自分がみたいものを見ることを選択し ただそれだけをみている。 兄弟の無罪性は 私が自分の無罪性を見ようとしているということを教えている。 そして私は、兄弟をその神聖な光の中に見ることを選択したので 自らの無罪性を見るだろう。 ◎兄弟の無罪性を見ること以外に何が あなたについての記憶を私に呼び戻してくれるでしょう。 彼の無罪性は 彼が私と一体のものとして 私と同じように創造されたということを 思い出させてくれます。 私は彼の中に私の自己を思い出し あなたの子の中にあなたについての記憶をみつけます。