恩寵により、私は生きる。恩寵により、私は解放される
恩寵とは、神の愛の一側面であり、真理の単一性の中に充溢している状態に最もよく似ている。
恩寵とは、憎しみと恐れに満たされているかに見えるこの世界の中で、神の愛を受け入れることである。
ただ恩寵のみによって、憎しみと恐れは消え去る。
恩寵は学べるものではない。
学びの最後の段階は、すべての学びを超えていかなければならない。
開かれた心には目覚めを促す呼びかけが聞こえるという意味において
私たちは恩寵のための準備を整えている。
すべての学びは、すでに達成されて完全なものとして、聖霊の心の中に存在していたものである。
私たちは恩寵を求める。
それは、救済が授けることのできる最後の贈り物である。
奇跡が置かれる。
あなたは恩寵の体験を通して聖なる瞬間を受け取り、そこから
その奇跡をあなたの顔に残る光を見るすべての者たちへと与え返す。
恩寵が授けるものであれば、私たち自身に与えられた恩寵の中で、 私たちにも与えることができる。
今日私たちの学びの目標は、以下の祈りを超えるものではない。
けれども、この世界の中に、今日私たちが求める以上のものがあるだろうか。
私たちは聖霊に恩寵を求め
聖霊は私たちの求めに応じて
聖霊が受け取った通りにそれを与えてくれる。
恩寵により、私は生きる。
恩寵により、私は解放される。
恩寵により、私は与える。
恩寵により、私は解放する。
*恩寵とは…主君や神のめぐみ・いつくしみ