防衛しないことの中に、私の安全がある
世界はただ防衛の姿勢を引き起こすのみである。
脅威は怒りをもたらし、怒りは攻撃を当然で正直な反応と見せ
正当防衛の名において正義にかなったものと思わせる。
しかし、防衛の姿勢は二重の脅威である。
それは、弱さを証しし、効果のない防衛体系を打ち立てるからである。
そうなると弱気ものがさらに弱められる。
なぜなら、今や、外にも裏切りがあり、内にはさらに大きな裏切りがあるからである。
自我が取り立てる代価の中でも、防衛は最も高くつくものである。
防衛の中にはあまりに残酷な形をした狂気があるため
正気を取り戻す望みなど実現不可能で不毛な夢としか思えない。
この世界が助長する脅威の感覚はあまりに深く
その狂おしさや強烈さは あなたの創造を絶している。
あなたはその奴隷になっている。
そうした自分がどれほどの犠牲を払わされてきたかを理解していない。
防衛の姿勢によって、自分が神の神聖な平安をどのように妨害してきたのか
分かっていない。
防衛しないことは強さである。
防衛の姿勢は弱さである。
あなたが戦っている相手が幻想である今、幻想以外の何があなたを防衛出来るだろうか。
私たちはそうした子供じみたゲームはしない。
私たちの真の目的は、世界を救うことである。
今日は夢を超えたところを見て、私たちに防衛は必要ないことを認識する。
あなたの目的がいかに神聖なものか、そして、その光の中で
あなたがどれほど安全に、何ものにも邪魔されずに安らっているかを考えてみなさい。
すべての兄弟に光を差し出すまで、その光を見ることができない。
彼らがあなたの手から受け取るとき
あなたもそれを自分自身のものとして認識するだろう。
神のゲームに敗者はいないので それは幸福を教えるゲームである。
救済がもたらす恩恵が見えてくるとき 子供たちは喜んで恐れのゲームを放棄する。
あなたは見捨てられ、望みを失ったというゲームをしてきた。
罪と罪悪感で気が狂っている恐ろしい世界で、
たったひとりで恐怖に震える役を演じてきた。
あなたは、今、幸せになりなさい。
私たちはあと少しの間だけこの地上にとどまり、最後の幸福なゲームを楽しむ。
その後はゲームが意味をもたず真理だけがある場所で
私たちは自らの正当な位置につく。
こうして物語は終わる。
☆今日は可能な限り毎時間
自分たちの使命と神の愛を思い出す
神が与えてくれたすべての贈り物に感謝しつつ
これからの1時間に神が私たちに何をさせようとしているのかを学ぶ。
練習を続けていくうちに
優しい神の声がいつでも聞こえているようになるだろう。
あなたは天国が自分とともにあることを知るようになるからである。
今日の私たちのテーマは防衛しないということである。
今日一日を迎える準備をするとき、私たちは無防備という衣を纏う。
私たちはキリストの内に力強くよみがえり
自分の弱さを消し去る。
あなたの心を本来の目的から逸らさないために
これからの練習には、愛から生じる熱意が必要となってくる。
恐れることはない。
また、臆病になってもいけない。
あなたが最後のゴールに到達することに疑いの余地はない。
兄弟に向かって輝く愛と力と平安は 神からもたらされるのだから
彼らが失敗することはありえない。
これが神からあなたへの贈り物である。
その返礼としてあなたが神に差し出すへきものは
防衛しない態度だけである。
あなたがキリストとその無罪性を見るために放棄するのは
一度も実在したことのないものだけである。