自分を防衛するなら、私は攻撃される
攻撃されていると思わない限り、誰が自分を防衛したりするだろうか。
また、攻撃が実在するもので、自分で防衛すれば自分を救えると思ったのでない限り
誰も防衛などするはずがない。
ここに防衛の愚かさがある。
それは幻想に完全な実在性を与えたうえで、それらを実在のものとして扱おうとする。
それは幻想の上にさらなる幻想を重ね、訂正を二重に難しくする。
未来を計画したり、過去を思い起こしたり
自分が望むように現在を整えようとする時にあなたのしていることは
まさにこのことである。
脅威の感覚は、内にある弱さの認識である。
防衛は恐ろしいものである。
防衛は恐れから生じ、それがなされるたびに恐れを増大させる。
恐れが実在化され、恐怖が正当化されたことを物語るものである。
まずはじめに、あなたは防衛で何を守ろうとしているのか、よく考えてみよう。
肉体の生命を防衛したり それを美しくするための防壁を肉体に与えるなら
あなたは自分の住む家が、時間という泥棒の出入りする
朽ちて崩れ落ちていく家だと言っていることになる。
あまりに安全性に欠けるので、
命にかえても守らなければならないものだと言っているのである。
自分の住む家についてそのような考えを抱きながら、安らかでいられるだろうか。
このようなものとしてなあたに仕える権利を肉体に附与したのは、ほかならぬあなたの信念である。
肉体に防衛は必要ない。
心が肉体を乱用しなければ、肉体は丈夫で健康なものとなる。
心による肉体の乱用とは
肉体が果たせないような役割や、その許容範囲を超えた目的や
達成できないほど高い目標を、肉体にあてがうことによってなされる。
肉体を防衛するなら、あなたは自分の心を攻撃したことになる。
それは、あなたが心の中に欠陥や弱点や限界や不足を見たということであり
そうしたものから救われるべきものが肉体であると考えているということだからである。
あなたは心を肉体のレベルの状況から分離したものとして見ようとはしない。
そして心はほかの心からもその源からも分離した有限で脆弱なものである、
という概念から生じるあらゆる苦痛を、肉体に押し付ける。
こうした考えこそが、癒されるべきものである。
そして、肉体はそうした考えが訂正されて真理と入れ替わったとき
それに応えて健康になる。
これが肉体の唯一の真の防衛である。
癒された心は計画を立てない。
自分のものではない叡智に耳を傾け、そこから受け取る計画を実行する。
癒された心は安全である。
癒されていない心が自らを救うために作り出した計画に
肉体が隷属させられるなら、肉体は必ず病んだものとなる。
心が計画に仕えていれば、健康は保証される。
過去、現在、未来において起こるあらゆる事柄とすべての出来事が
あなたの幸福だけを目的とする一なる存在により優しく計画されているということを
もしあなたが知っていたなら あなたに受け入れられないものなどあるだろうか。
あなたは死のための計画を作り上げたが
神はあなたを優しく永遠の生命へと導いた。
現在の信頼だけを防衛とし、それに未来の方向を決めさせなさい。
防衛がなくなれば、あなたは天国が感謝しつつ自分を認める光となる。
☆今日は15分ずつ2回、休憩し、無意味な計画を立てるのをやめ
真理が心の中に入ってくるのを拒む思考のすべてから離れる。
今日、私たちは計画するかわりに、受け取ることを行う。
整えようとするかわりに、与えることができるようになるためである。
そして、次のように言う時、私たちは真に与えられる。
☆自分を防衛すれば、私は攻撃される。
しかし、防衛しないでいるとき私は強き者となり
自分の防衛が何を隠しているのかを学ぶだろう。
それだけでよい。
天国は何も要求しない。
犠牲を要求するのは地獄である。
あなたは死と絶望のように見えていたものから、再びよみがえるだろう。
自分で計画しないことでもたらされる幸福のすべては、あなたが思い描くことさえできないものである。
今日は学びのための特別な日である。
次の言葉で確認しよう。
☆今日は復活の時である。
だから私は今日を神聖に保ちたい。
私は私は自分を防衛しない。
神の子は、自分の実相の真実から身を守る防衛を必要としてはいないのだから。
みんなで健康に生きましょう!(*^^*)