与えることと受け取ることは、真理においてはひとつである
真の心眼を可能にする真の光は、肉体の目が見る光ではない。
それは、すっかり統合されているためにまったく闇が知覚されることのない心の状態のことである。
すでに癒されている心眼には、癒す力がある。
これがあなたの心の平安をほかの心へと運ぶ光である。
そして、彼らがその平安を分かち合い、自らがあなたとも彼ら自身ともひとつであることを喜べるようにする。 これが癒す光である。
ここでは、与えることと受け取ることの両方が、一なる想念の二つの側面とみなされており、この想念の真実性は、どちらの側面が第一のもので、どちらが二次的なものと見なされるかといったことには依存していない。
ここでは、両方の側面が一緒に生じるものであり、この想念は完全なままであり続けると理解される。
この理解の中に、対立するすべてを和解させるための土台がある。
「一つが正されれば、すべての訂正に十分である」というのと同じである。
延長されていき、遂にはそれらすべての根底にある一なる懸念にまで到達する。
今日、与えることと受け取ることの特別な形を練習する。
与えることは受け取ることである。
今日はすべての人に平安を与えることを試み、平安がいかに素早く私たちに戻ってくるかをこの目で確かめる。
☆与えることと受け取ることは、真理においてはひとつである
☆私は自分が与えるものを、これから受け取ることになる
☆すべての人に、私は静けさを差し出す
☆すべての人に、私は心の平安を差し出す
☆すべての人に、私は優しさを差し出す
あなたが与えたぶんだけ、あなたに戻ってくるだろう。