救済は私の一なる自己から訪れる
あなたは一なる自己であるのに、善と悪、愛する者と憎む者、心と肉体という、二つのものとして、自分を経験している。
もしあなたが救われたいのなら、自分でどんなに努力しようと、どんな手段を用いようと、どこに問題をみていようと、真理と幻想は和解させられないという事実が受け入れられなければならない。
葛藤する二つの自己は解決できず、善と悪には接点がない。
あなたが作り出した自己は、けっしてあなたの真の自己にはなりえず、あなたの真の自己は、二分されるなら、永遠に変わらぬ一なる自己であることはできない。
心と体の両方が実在することはあり得ない。
この二者を和解させようとするのはやめなさい。
霊は自己を表現する手段として心を用いる。
そして、霊に仕える心は安らかであり、喜びにあふれている。
その力は霊からもたらされ、ここでの自らの機能を幸せに全うしている。
しかしまた、心は自らを霊から切り離したものとして見て、自らを肉体と混同し、肉体の中に自分を知覚することも出来る。
その時本来の機能をもたない心に平安はなく、それが抱く考えは幸福からはかけ離れたものとなる。
夢が見せている無意味な葛藤を、いったい誰が解決できるだろう。
救済は、幻想を実在させることもできなければ、存在してもいない問題を解決することもできない。
おそらく、あなたはそれができればいいと望んでいる。
救済はあなたが神と共有する想念である。
なぜなら、神からの声があなたにかわって救済を受け入れ、あなたの名において救済が達成されたと答えたからである。
救済は、このようにして、あなたの自己があなたにかわって愛しみ、大切に抱いている想念の一つとして保持されている。
☆あなたの心の内に聖霊を探す。
救済は、一なる自己とあなたの心の架け橋である聖霊を通して、
一なる自己から訪れる。 忍耐強く待ちなさい。
そして、あなたの自己について、
また、自己に回帰し自己の意味に仕える自由を得たあなたの心に何ができるかについて、聖霊に語ってもらおう。
☆救済は私の一なる自己から訪れる。
その自己の想念は私のものであり、私が使うことができる
強さを回復した心は、再び霊から流れ出て、霊がそれ自体と同じものとして創造したすべてのものの中に宿る霊へと達するだろう。
あなたの心は全てを祝福する。
混乱は終わり、あなたは取り戻された。
あなたが真の自己を見出したからである。
救済は一なる自己からやってくると言い聞かせるたびに、増え続けるあなたの宝の山にもう一つ宝を積み上げることになる。
そしてそのすべては、それを求め、その贈り物を受け入れようとする者なら誰にでも与えられる。
だから今日、あなたが与えることができるようにあなたに与えられているものが、どれほどたくさんあるかを、考えてみなさい。
それは、あなたが与えることで、あなたに対して与えられるものである。