奇跡は光の中で見える
奇跡そのものは常にそこにある。
あなたの心眼が原因となって奇跡が現れるのではなく あなたが見ることに失敗した結果、奇跡が消え去るものでもない。
変化するのは、あなたが奇跡を自覚するか否かということのみである。
光の中にいれば、あなたに奇跡が見えるが、闇の中にいるなら奇跡は見えない。
自分の目に見えないものがここにあると言われても、狂気としか聞こえない。
実在するものを見ずに、実在しないものを見ることのほうこそ狂気であるが、それを確信できるようになることは非常に難しい。
あなたは肉体の目がみることができると信じて疑わない。
あなたの信仰心は、光ではなく闇に向けられている。
どうすればそれを逆に向けることができるだろうか。
あなたにはそれはできない。
しかし、あなたがひとりでそれを行うのではない。
あなたの努力がいかにわずかなものでも、それは強力に支援されている。
それがどれほど強力なものか理解できさえしたなら、あなたの疑いは消え去るだろう。
☆奇跡は光の中で見える
☆肉体の目はこの光を知覚しない
☆しかし私は肉体ではない。私は何なのだろう?
以上の言葉の末尾にある問いが、私たちの今日の演習に必要なものである。
真のあなたが何なのかについては、あなたに開示されなければならない。
あなたが肉体であるという信念は間違いであり、訂正が必要である。
あなたの心の中にある肉体のイメージにかわるものとして 聖霊が何を用いるのかを、あなたは自覚する必要がある。
肉体に捧げることをやめた信仰心を今度はどこへ向ければよいのか。
あなたが肉体でないのだとしたら、あなたは何なのだろうか?
正直にこう尋ねなさい。
☆私は弱くはなく、強い
☆私は無力でなく、力に溢れている
☆私は限定されたものではなく、無限である
☆私には疑いはなく、確信がある
☆私は幻想ではなく、実在する
☆私は闇の中で見ることはできないが、光の中ではみることができる
神の想念はあなたと1つになっている。
その強さはあなたのものでもあるので、これらの想念の光の中で、あなたは奇跡を見る。
あなたが真に見ることができるように、その強さがあなたの目となる。
☆奇跡は光の中で見える。
この誘惑を理由に、私が目を閉じないでいられますように