第2部が始まります。
序文を載せます。
赦しについて更に深い理解ができます!
ここから先は、言葉はあまり意味をもたなくなる。
これからは真理の直接的体験だけを追求する。
残りのレッスンは、私たちが苦痛の世界を離れて
平安の中に入る時間の 導入部にすぎない。
今、私たちは神の言葉だけを心にとどめ
胸に抱いて神のもとへ行き
神ご自身が私たちに向かって踏み出してくれる
最後の一歩を待つ。
私たちに失敗はありえない。
静かに座り、あなたの父を待ちなさい。
私たちはもう後ろを振り返りません。
前を向いて、旅の終わりだけをみつめます。
私たちは自分で作り出した世界を超えたところにある
もう一つの世界を眺め、その世界を
自分の世界と完全に入れ替わるべきものとして
受け入れます。
言葉のかわりに、神の愛を感じるだけでよい。
ただ静かにして、すべてが癒されるままに受け入れたように
その終わりもそのまま受け入れる。
そうしてそれが完了する。
しかし私たちは、もう1つだけ言葉の用途を残しておく。
毎日のレッスンとその後に訪れる言葉を超えた深い体験の時間に加えて
時折、特別な関連テーマの解説が挿入される。
毎日読み返し、復習しなければならない。
神聖な恵みの時間のいずれかを始める前にゆっくりと読み
少しの間それについて考えるようにしなさい。
今から、最初の解説を始める。
●赦しとは何か 赦しは、自分に為されたとあなたが思っていたことは
起こってはいなかったと認識する。
罪は存在していなかったと見るのである。
その見方において、あなたの罪のすべてが赦される。
赦したくないという思いは、裁く思いであり
その判断が真実でないにも関わらず
けっしてそれを疑おうとしない。
心は閉ざされ、解き放たれることがない。
その思いは、自分が選んだ道を邪魔すると見えるものをねじ曲げ
くつがえし 自分のゴールを必死になって追求する。
怒り狂って実相を粉砕しようとするばかりで
自らの見解に対立するかに見えるものには一切関心を持たない。
一方赦しは じっと静かにしていて、何もしない。
ただ見て待つのみであり、判断はしない。
自分自身を赦そうとする者は
必ず、ありのままの真理を歓迎することを学ぶことになる。
だからあなたは何もせずにいなさい。
そして、何を為すべきかは聖霊による赦しを通して
教えてもらいなさい。
聖霊はすでにあなたを赦している。
今度はあなたが聖霊の昨日を共有し
聖霊が救った者を赦さなければならない。
聖霊は彼の無罪性を見ており
神の子である彼を讃えている。