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  • レッスン187

私は世界祝福する。それは、私が自分を祝福しているからである

所有していなければ、与えることはできない。
実際、与えることは所有しているという証拠である。

世界の知覚と
真の知覚が違ってくるのは その次の段階である。
所有していたあとに与えたなら
あなたは所有していたものを失ったと世界は断言する。
真理は与えることはあなたが所有しているものを増大させると主張する。
真理では、与える者に必ず戻ってくる。
もしあなたが世界を救うというなら
あなたはまずはじめに自分に救済を受け入れなければならない。

喜んで与えなさい。
それにより、あなたはただ得るのみである。
想念は残り、与えることによって強化され、さらに強力なものとなる。
想念は失われることがないので、共有されるとき延長される。

あなたはただ自分自身に与えているのだということを
決して忘れてはいけない。
犠牲というのはあまりにも狂った概念なので
正気の心はすぐさまそれを退去させる。
自分が犠牲を払うことが可能だなどと決して信じてはならない。
もし犠牲が存在するという想念が生じたなら
あなたの祝福がそれを訂正するだろう。

祝福はまずあなたに与えられているので
今や、あなたも祝福を与えることができる。
すでに自分自身を赦し祝福した者の前では
どんな形の犠牲や苦しみも長く存続することはできない。

今、私たちは祝福されており
だから今、私たちは世界を祝福する。
私たちは自分がみたものを延長する。
それをあらゆるところに見たいからである。
私たちはすべての人の中に、それが神の恩寵とともに輝くところを見たい。

そしてこの神聖な光景を自分たちのものとして確保するために
みるものすべてにそれを差し出す。