神に残酷さはなく、私にもない
傷つけようとする意図をもたずに攻撃する者はいない。
このことに例外はありえない。
正当防衛で攻撃していると考えるとき、あなたは 残酷になることが保護であり
残酷さのおかげで自分は安全だと思っているのである。
それは、他者を傷つけることが自分に自由をもたらすと信じる
と言っているのと同じである。
恐れから身を守ることと攻撃することが同じだという考え方は
徹頭徹尾、狂っている!
私たちは今日、あなたには想像もできないほどに多大な
遅延や不要な惨めさから、あなたを救ってくれるレッスンを学ぶ。
☆何かに対抗して自分を防衛するとき、その何かを作り出しているのはあなたであり
あなた自身の防衛によって、それが実在性を帯び
そこから脱出できなくなっている。 武器を捨てなさい。
そのときあなたは初めて、恐れを虚偽と知覚するだろう。
あなたの防衛が、内なる敵を作り上げているのである。
攻撃しているのはあなたであり
それを初めに考えついたのもあなたに違いない。
本来愛だけに属するものが愛から切り取られ、恐れの属性が愛に附与される。
真の愛ならばmすべての防衛を単に愚かなものとして手放すように求めるだろう。
復讐の神々という完全に狂った信念は、いったいどこからくるのだろうか?
恐れの重荷を背負わずに戻っていく新しい世界は
恐れで見えなくなった目で見る世界ではなく
あなたの選択があなたに回復させた心眼によって見える新しい世界である。
神からの呼びかけは聞かれ、応えられた。
今や、神ご自身が残酷さと入れ替わり、恐れが愛に道を譲った。
☆父よ、私たちはあなたと同質のものです。
私たちの中に残酷さはありません。
あなたの中にそれがないからです。
あなたの平安は私たちの平安です。
そして私たいてゃ、ただあなたから授かったものだけで世界を祝福します。
私たちはもう一度選択します。
そして、兄弟全員が自分とひとつであることを知りつつ彼らのために選びます。
私たちは今、あなたから救済を受け取りました。
私たちは同じやり方で、それを兄弟たちにもたらします。
また、私たちを完全にしてくれる兄弟たちについて、感謝いたします。
私たちは、彼らの中にあなたの栄光を見て、彼らの中に、平安を見出します。
あなたの聖性が私たちをじびゅうにしてくださったので 私たちは神聖です。
そして、私たちは感謝を捧げます。
アーメン