死は存在しない。神の子は自由である
死とは1つの想念であるが、しばしばそうとは認識されない多くの形をとる。
それは、悲しみや恐れや不安や疑いのように見えるかもしれない。
あるいはまた、怒りや不信や信頼の欠如のように見えるかもしれない。
さらには、肉体にまつわる心配や羨望など、本来の自分ではないものでありたいという願望が
あなたを誘惑しようとして纏うありとあらゆる形態も、ここに含まれる。
こうした想念のすべては、死を救済者かつ、解放者として崇拝していることの反映にすぎない。
神とは反対のものが、すべての被造物の主とされ、生命に対する神の意志よりも強く
愛の無限性よりも、天国の完璧で普遍な恒常性よりも強力なものとして宣言されている。
死は存在しない。
そして、彼らの救済のため、および私たち自身の救済のためにも、私たちは今
あらゆる形態の死を放棄する。
神は死を作らなかった。
だから、死がどんな形をとろうとも、それは幻想であるに違いない。
これが私たちが今日とる立場である。
そうすれば、私たちは死を看過して、その向こうにある生命を見ることになる。
☆父よ、今日私たちの瞳を祝福してください。
私たちはあなたの使者です。
すべてのものの中で輝くあなたの愛の栄光ある反映を見たいと願っています。
私たちはただあなたの中でのみ生き、活動します。
私たちはあなたの永遠の生命から分離してはいません。
死は存在しません。
死はあなたの意志ではないからです。
そして、私たちは、あなたが私たちを置いた場所、
私たちがあなたや生命あるすべてのものと共有している生命の中に留まります。
そうすれば、私たちは常しえに、あなたと同質のものであり、あなたの一部です。
私たちはあなたの想念を私たちのものとして受け入れるので
私たちの意志はあなたの意志と永遠にひとつです。
死に関しては、また、みんなで話したいですね(*^^*)
大切な人が亡くなって、悲しくて泣いて
しばらくして繋がっているように感じたり。
体から離れて、エネルギーを感じると 「死」というものが無いように感じます。
死は幻想である。
というのは、体のみの話なのかな。と思っています。