天国は私が下すべき決断である
この世界では天国は選択肢の1つである。
私たちはすべてのものには対極があり、自分の望むものを自分で選んでいると考えている。 天国が存在するなら、地獄も存在するはずであるということになる。
私たちが知覚する対象や実在すると考える対象を作り出す方法だからである。
創造は対極を知らない。
天国を選択することが、地獄を放棄することと同じことのように思っているが
本当はそうではない。
選択とは、相対立すると見えるものからの、明白な脱出法である。
決断することによって、葛藤するゴールのうちの1つだけが、
努力して時間を注ぎ込む目的となる。
決断がなければ、時間は無駄に使われ、努力は浪費される。
見返りがないままに努力が費やされ、何の結果も生まずに時間が過ぎていく。
何も達成されず、何も学ばれないので、そこには何かが得られるという感覚がない。
あなたはただ1つの選択をするだけである。
そして、その1つをし終えたとき、それはまったく選択などでさえなかったことを知覚するだろう。
なぜなら、真理だけが真実であり、そのほかに真実なものはないからである。
選択は学びに依存している。
真理は学ばれるものではなく、認識されるだけである。
このコースは教育目標を超えている。
私たちが目指しているゴールは
教育により達成されるゴールである。
すなわち どのようにしてそこに到達できるのか
それはどのようなものか
それは自分に何を提供するのかを学ぶことによって達成される。
決断とは、あなたの学びの結果である。
自分とは何か
自分の必要は何かについて
あなたが何を真理として受け入れたかに基づいて、決断が下されるからである。
私たちは、この選択について考えることを始める。
あなたがこれまで時間というものを、 地獄は実在し、希望は絶望に変わり
生命さえも最後には死に打ち負かされてしまうと実証するための手段にしようとしてきた。
対立を終わらせることは死ことなので
死においてのみ対極が消滅する。
救済は死ぬことだということになる。
この葛藤を解決すれば、あなたの生命も終わらせるということになる。
しかも、こうした決断は自覚されないまま下される。
天国は意識的に選択される。
天国が意識的に選択されるということは
地獄に対する恐れに終わりがくるのと同じく確かなことである。
恐れの終わりは、恐れがが光のもとに運ばれる時に訪れる。
☆今日は目を覚ましたら天国を選択し、
自分が唯一の正気の決断をしたことを確かめながら 5分過ごす。
☆夜目を閉じて眠りにつく前には再び確認する。
今朝、目を覚ましたときと同じ決断をすることに捧げる
1日の最後は次の言葉で
自分たちが望んでいるものだけを選択することを確認して締めくくろう。
☆天国は私が下すべき決断である。
私はその決断を下す。
それだけが私が望むものだから、それについての私の心を変えるつもりはない。