この世界を超えたところに、私の望む世界がある
この主題概念は昨日練習した概念に続くものである。
この世界に価値がないという概念で止まるわけにはいかない。
それ以外に期待できる何かがあると分からなければ、落胆するしかないからである。
私たちの重点は、世界を放棄することなく
もっと満足できるものと交換することにある。
それは、喜びに満ち、あなたに平安をもたらすことができるものである。
ここで少しの間、この世界の価値についてもう一度考えてみることにする。
そうすれば恐らくあなたも、この世界に価値があるとする考えをすべて放棄しても損はないと譲歩してくれるだろう。
あなたに見えている世界は、本当に慈悲のかけらもない世界である。
不安定で、残酷で、あなたのことなど気にもかけず、すぐに仕返しをしてくるし
憎悪に溢れていて情け容赦がない。
それは、与えるけれどもいずれは取り上げ、あなたがしばらくの間大事にしていたものすべて奪い去る。
永続する愛はここにはないので、ここでは見つからない。
これが時間の世界であり、ここではすべてのものに終わりが訪れる。
そうした世界の代わりに、失うということ自体が不可能な世界を見付けることは 損失だろうか?
愛が永遠に存続し、憎しみが存在せず
報復が無意味であるような世界をみつけることが、損失だろうか?
それらには終わりがなく、時間を貫いていつまでもあなたが望む通りに存続すると知ることが、損なことだろうか?
しかし、その世界さえも、最後には私たちが語ることのできないものへと入れ替わる。
なぜなら、あなたはそこからさらに、言葉がまったく役に立たなくなり
言語では語られずとも確実に理解される沈黙の中へと入っていくからである。
白日のごとく、明瞭ではっきりとしたコミュニケーションの状態は、永遠に限りなく存続する。
そして、神ご自身がわが子に語りかけ、神の子は父に語り掛ける。
彼らの言語に言葉はない。
彼らの智識は直に理解され、完全に共有され、完全に一なるものである。
世界に縛られているあなたは、こうしたものから何と遠くに離れていることだろう。
しかしまた、この世界を自分が真に望む世界と交換するとき、あなたはどれほどそこに近づくことだろう。
今や最後の一歩は確実であり、あなたは今、時間を超えた彼方からほんの一瞬だけ離れたところに立っている。
二度と再び後ろを振り返って自分の望まない世界をみることはない。
この世界の卑小なものごとから、自分自身の心を解き放つとき、それと入れ替わりに訪れる世界が、ここにある。
卑小なものごとに価値を認めずにいなさい。 そうすれば、それらは消えてゆくだろう。
それらを尊重するなら、それらが実在するように見えるだろう。
選択できるのは、それだけである。
この世界には、あなたが真に望むものは何もないが
あなたがこの世界のかわりに選ぶものは、まさしくあなたが望んでいるものである。
今日、それがあなたに与えられるようにしよう。
それはただあなたに選択されるのを待っている。
それは、あなたが探し求めてはいるが本当は望んでいないものすべてと入れ替わるものである。
☆朝と夜と、その中間にもう1回、それぞれ10分間、この変化を起こしたいという意欲を確かめる練習をしなさい。
☆この世界を超えたところに、私の望む世界がある。
私はこの世界のかわりに、その世界をみることを選択する。
この世界には私が真に望むものは何もない。
☆それからあなたが見ている世界に対し目を閉じて、
静かな暗がりの中で、
この世界のものではない光が1つずつ灯っていくのを見守りなさい。
それらは次第に1つに溶け合い、
どこからどこまでが1つの光なのか全く分からなくなるだろう。
☆今日あなたが闇の世界を離れて休らう時、天国の光があなたの上に降り注ぎ、
瞼の上に輝く。
ここにはあなたの目には見えない光がある。
しかし、あなたの心はそれをはっきりと見て、理解することが出来る。
今日、恩寵の一日があなたに与えられ、私たちは感謝を捧げる。
あなたは失うことを恐れてきたが、失うものとは ただ「損失」だけだったということを、今日、私たちは語るだろう。
今、私たちは損失というものは存在しないことを理解する。
ついにその反対の世界を見たからである。
その選択がされたことに、私たちは感謝する。
☆私が見ている世界には、私が望むものは何もない。
この世界を超えたところに、私の望む世界がある。
心、魂の眼を開きましょう!(*^^*)