私は神の内に休らう
私たちは今日、安息を求め、この世界が呈する外観によって揺らぐことのない静けさを求める。
自分が危険や悲しみを見ているように思えても、安全と幸福を求める。
「私は神の内に休らう」この概念が、あなたが探し求めている安息と静けさ、平安と静寂、安全と幸福をあなたに運んでくるだろう。
この概念のなかで神の子は生まれ変わり、自らを認識する。
「私は神の内に休らう」この概念が、まったくたじろぐことなくあなたを運んでゆき、嵐や争乱を通り抜け、不幸や苦痛、損失や死をも通り過ぎ、神の確かさへと連れてゆく。
それが癒すことのできない苦しみはない。
それが解決できない問題もない。
そして神の内に休らうあなたの目の前で、目に見えるものすべてが真理へと変容していくだろう。
今日は平安の日である。
外側に見えているものがあなたを侵害することはできない。
あなたは自分の声を神に預けたのであり、今や神の内に休らい、神があなたを通して語るままにするので、彼らはそれ以外の声を聞くことはない。
神の内にいるあなたには何の心配や懸念もなく、重荷や不安、苦痛、そして未来に対する恐れや過去に対する後悔もない。
あなたは時間を超えたところで休らい、その間、時間はあなたに触れることなく過ぎてゆく。
あなたの安息は絶対不変のものだからである。
あなたは休らう。
目を閉じて、静寂の中へと深く入っていきなさい。
心を静め、感謝の気持ちで心の癒しを受け入れなさい。
今日あなたが5分間休息するたびに、世界は目覚めへと近づく。
そして、もはや倦み疲れてひとりでは進むことができないほどに消耗しきった心に、安息のみが存在する時間が近づいてくる。
そして彼らは鳥がさえずり始めるのを聞き
小川が再び流れ始めるのを見るだろう。
希望が再生し、活力が回復し、にわかに進みやすくなったように思える道を、軽い足取りで歩き出すだろう。
世界の遠くからも近くからも、疎遠な兄弟も身近な友達も、皆ここに呼び寄せ、あなたとともに休らうように中へ招き入れよう。
私たちは皆一緒にここで休らう。
今日私たちが与えるものは、すでに受け取っていたものである。
私たちはまだ生まれていない者たちにも与え、すでにここを去っていった者たちにも与える。
そして、すべての神の想念にも与え、それらの想念を生み出して自らの内に休羅わせている一なる心にも与えるのである。
私たちは、「私は神の内で休らう」と自分に言うたびに、彼らに彼ら自身の安息の場所を思い出させる。